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兄の死

3月10日に実家を継いでいる長兄が亡くなり、14日が告別式でした。81才でした。1年ぐらい前から体調をこわしていたのですが、インフルエンザに罹り、それをこじらせてしまったのです。そんな関係で久しぶりに故郷(福島県石川町)に帰っていました。

兄の葬儀.JPG

その週は、私にしては珍しく予定がなんにも入っていなくて予定表が真っ白、「こんなこともあるんだな〜ァ。旅でもしてくるか」妻とそんな話をしていた矢先きでした。まるで私に合わせ、日を選んで亡くなっていったかのようで、その偶然に不思議な思いがしています。

というのも、2月の末にも一度危篤の知らせがあり、その頃は予定がびっしり入っていたからです。

2度目に危篤の知らせがあったのは3月の7日(金)で、私が講座の司会をしている最中でした。
翌朝早く家を出て、入院中の病院に駆けつけたのですが、兄は酸素マスクの下で苦しそうな息づかいをしながら眠っていました。
「兄貴、オレだよ!コウヨウだよ!」と大声で呼びかけると、目を開けてニコっと笑みを浮かべ、何度かうなずいてくれました。でも起きているのが辛いのか、またすぐに眠ってしまいました。

日曜日は、前日より苦しそうではなく、ベッド脇に取り付けられている呼吸器の数値も大分良くなっていました。
月曜日も特に変化はなく、「この調子なら大丈夫だろうから、オレ、一旦帰るは!」と言い残して帰ってきたのです。4時頃に家に着いたので、電話を入れたのですが、その時は何でもなかったのに、それから1時間半後ぐらいに「やっぱりだめだったらしい。これから病院に行ってくるから・・・」という連絡が弟からありました。

帰るのをもう1日延ばせばよかったのでしょうが、ままならないものです。

兄と私とは9歳違いですから、子どもの頃一緒に遊んだという記憶はほとんどありません。そんな中で一番記憶に残っている思い出といえば、兄が東京で働いていた時に、私たち兄弟のために珍しいおもちゃを送ってきてくれたことです。僅かな小遣いを貯めて買ってくれたのでしょう。兄は高校を卒業するとすぐに東京の卸売り問屋で、家業の修行のために、4年間住み込みで働いていたのです。

兄の葬儀が終わると、親類縁者はすぐに帰っていきましたが、みんなが直ぐに帰ってしまったのでは寂しいだろうと、私と甥、姪(どちらも弟の子)だけが日曜日まで残って、私の車で一緒に帰ってきました。

はるまくんJPG.JPG

姪にはもうすぐ4歳になる男の子がいて、私にもすっかりなついてくれたので、帰る日の午前中にその子と2人で散歩に出かけました。
兄を送ったあということもあるのでしょう。思い出のいっぱい詰まった故郷の街を、幼い男の子と一緒に歩いていると、「こんな時もあったんだなァ。オレにもずいぶん遠くまで来てしまった!」という感慨が湧いてきました。
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おけいさん

孫達が春休み中、(13日間)二人で帰省したので、パソコンを開ける時間も少なく、今日ブログを開いてびっくりしました。
仙台でショートメール、気軽に入れてしまってすみませんでしたね。
兄弟の亡くなるのはさみしいものですね、私も弟を急に亡くした時は、いつまでたっても、トントンと階段を登って、我が家に、何時ものように、弟が来るような気がしてなりませんでした。
 
東北旅行の最中、幸い、地震はありませんでしたが、被災地を見せていただいたときには、やはり目頭が熱くなりました。
取り壊しの申請をする人がいないのか、(一家のすべての人が亡くなってしまったのか)まだ津波の跡がそのままにされている家が何軒かありました。蒲生地区というところでした。

仙台は東北一番の町だけあって、青葉城跡からみると大きかったです。
楽天の球場、ケヤキの通りなど、車の中からですが、見てきました。

by おけいさん (2014-04-07 21:36) 

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