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「幸せのカギ 脱成長にあり」を読んで

10日ぐらい前になりますが、朝日新聞の文芸/批評欄に、「幸せのカギ
 脱成長にあり」という記事が載っていました。フランスの経済哲学者のセルジュ・ラトゥーシュへのインタビュー記事です。

〈脱成長〉を唱える彼の念頭には、長年にわたって現地調査をしてきた、アフリカやアジアの村落共同体の生活があるといいます。
例えば、貧困や飢餓の多くは、異常気象を原因とする食料不足が原因ではなく、商品作物の清算など、偏った開発によって、生活基盤が破壊され、共同体内部の分かち合いの精神が失われるなど、「経済成長を目的とした開発自体が原因」だと結論づけています。

こうした「成長」の問題点は先進国にもあてはまり、「私たちの想像力は今や完全に経済成長によって植民地化されてしまい、社会の問題は成長によって解決されると信じ込んでいる。長期的に考えれば資源は枯渇し、環境は破壊されることは自明にもかかわらずだ」と言うのです。

この考え方とても分かります。分かち合いの精神、ストックではなくフローの考え方。

いま我が国では、アベノミクスによる経済成長が最大の関心事になっていますが、私自身はその政策にとても危ういものを感じています。
経済が永遠に成長することなどあり得ないわけで、ついこの間までは、そろそろ低成長時代に相応しい国の枠組みを作るべきだという議論がなされていたのではないでしょうか。にもかかわらず、またぞろ、市場にお金をばらまくというバブル期のような話が出てくるのはどうしてだろう。そういった違和感があるからです。たとえ一時的に景気が良くなったとしても、それが本当の豊かさなのだろうかという疑問もあります。

ではどうすればいいのか?
セルジュ・ラトゥーシュへ氏は「社会の基本的な単位を小さくした『ローカル化』戦略だ」と説きます。実際、欧州危機後ギリシャやスペイン、イタリアなどでは、スローライフのコミュニティづくりの動きに拍車がかかっているのだそうです。そういえば、韓国のソンミサンマウルの取り組みも『ローカル化』戦略と言えるかも知れません。

もともと、ギリシャやスペイン、イタリアといった国の大部分の人たちは、スローライフで十分だと思っていたのではないでしょうか。ところがそこに突然、欧州連合というグローバリズムの経済原理が入ってきた。効率優先、成長こそが善の考え方が導入されてしまった。

昔のことですが、スペインは経済的にはローロッパでも貧しい方の国、でも一番暮らしやすい国だと聞いたことがあります。また、イタリア人は年200万円あれば楽しく暮らせるのに、どうしてそれ以上稼ぐ必要があるのかと考える国民だと聞いたこともあります。なのに、全部ドイツ人のように勤勉になれという方が問題だと思うのです。
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