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「これからカフェ」の4回目

9月もやっぱり忙しくて、なかなかブログを更新できませんでした。明日もこの地域で行っている祭りを接待する会(中央会)の打上げで、夜まで忙しいので、9月中の主な活動を一挙にアップすることにしました。

「これからカフェ」はコレクティブハウス聖蹟の居住者有志と何人か外部の方を交えて月1回行っている催しです。地下の駐車場を使って行っています。

9月14日(土)がその4回目でした。

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打合せの時に、9月は何といっても月見だねということになりました。ところが調べてみるとこの日はまだ半月、だったら標題は「これから満月 半月の会」でいいのではないかということになりました。
そして、酒は月見らしく日本酒を取り上げることになり、私の近所にある、東京で一番日本酒を売るという小山商店に6本セレクトしてもらいました。

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ついでに社長に日本酒の話もしてもらおうヨ、ということになり私がお願いしたところ快く引き受けてくれました。ふだんは喜八ちゃんと気軽に呼んでいますが、正式に話を聞くのは私も初めて、酒の話もさることながら、その苦労話には感激、やっぱり喜八ちゃん、ただ者ではなかった。

話の後、居住者の一人恵子さんが用意したスカイランタンをあげました。半月をバックにしてとても幻想的でした。

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大丸用水沿いにオープンカフェがあったらいいなァ〜

市民活動サポートセンターでは、昨年度から稲城の「魅力づくり」と「居場所づくり」をテーマに活動しています。その魅力づくりの一環として9月28日(土)に大丸用水を歩く事業を企画しています。

テーマは「用水沿いにオープンカフェがあったら「いいなァ〜」、その可能性を探る会で、途中2か所でお試しカフェも行います。大丸用水は稲城の貴重な文化資源、環境資源です。でも、ただ見て歩くだけではつまらない・・・という訳で、カフェの他にどんなことができるか、みんなで考え、実行に移しちまおうという企画です。

たまたま地元の自治会が、来春、田んぼにレンゲの花を咲かせようという企画を考えているらしいのです。そしてら、そこでコンサートを開いたり、野外アート展だってできるかも・・・。

今回も、「いなぎエコミューゼ」と「いなぎの生き物見つけ隊」が共催者として協力してくれることになっています。いろんな団体を巻き込んで、大丸魅力を発信できたらいいなァ・・・そんな夢から出発した企画、オープンカフェは無理だとしても、何か生まれるかも。

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「これからカフェ」 

コレクティブハウス聖蹟の地下1階駐車場で、居住者の有志が「これからカフェ」なる催しを月1回行っています。カフェといいながらも、酒もあり、夕方頃からは居酒屋に変身します。居住者とだけでなく、もっと外部の人たちとも繋がりたいという思いから始めたものです。

私はその運営に直接携わっていませんが、駐車場のオーナーでもあることから相談役として時々会議には参加しています。

9月14日(土)にも、4回目のカフェが開かれました。その都度テーマを決めており、7月はビアガーデン、8月はバーベキュー、そして今回は月見の会、ところが中秋の名月には少し早くて14日は半月なのだそうです。だったら「これから満月 半月の会」でいいのではないかということになりました。

「月見ならやっぱり日本酒だね!」「珍しい日本酒を少しずつセットにして飲み比べするっていうメニューはどうかな?」「だったらアノ小山商店の社長をお呼びして日本酒の話をしてもらったら・・・」こと酒の話になると急にアイデアが沸騰・・・。

結局、小山商店の社長には私から話をすることになりました。というのも、私と社長とは隣組み同士、いつもは「喜八ちゃん」と名前で呼ぶ間柄なのです。もちろん快く引き受けてくれました。

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当日の酒も喜八ちゃんにセレクトしてもらったそうですが、ふだんは手に入らない珍しい日本酒ばかりです。

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その喜八ちゃんの話が実に良かった。いつもは只の飲兵衛仲間、系統だってきちんと話を聞いたことがなかったので、とても新鮮でした。特に、スタッフの「東京で一番日本酒を売る店として有名ですが、どんなふうにしてそんな店に育てあげたのですか?」という質問に答えて、店を任された当時の思いや苦労話をしてくれましたが、それには感激。日頃から、喜八ちゃんのことはすごいと思っていましたが、やっぱりただ者ではなかったです。
どんな話だったかについては、長くなるのでまたの機会に紹介したいと思います。

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もう一つの今回の目玉はスカイランタンを飛ばしたことです。とても幻想的で、半月にピッタリの催しでした。ケイコさんのアイデアでしたが、タイのチェンマイや台湾では、このスカイランタンを何千個と飛ばすお祭りがあるそうです。そういえば、秋田の伝統的な祭り「上桧木内の紙風船上げ」をテレビで見たことがありますが、あれも凄いですね。
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関戸の秋祭り

大型台風もこの辺りはたいしたことはなく、今は雨も風もすっかり収まっています。
それにしても今年の夏は暑かったですね。実は7月の後半に夏風邪を引いて、半月ぐらい体調を崩していました。寝込むほどではなかったのですが、夜になると咳が出て、その上あの熱帯夜でしたから、ずっと寝不足気味。なのに、昼間は相変わらず忙しくてゆっくり休むこともできず、果してこの夏を乗り切ることができるのかと、珍しく気弱になったほどです。

8月に入ってからも咳は治まらず、風邪ではなくて他の病気じゃないのかと疑ったこともあったのですが、それでも徐々に体力は回復し、facebookにも酒宴の写真をアップすることが多くなり、おかげさんで「ようやく復帰ですね」とコメントをいただくようになりました。

まあ、そんなこんなで、ブログともすっかりご無沙汰している間に、関戸の秋祭りも終わってしまいました。ブログ再会のご挨拶代わりに、いつもと変わり映えはしないのですが、秋祭りの写真をアップします。

          ★     ★     ★

関戸には熊野神社、金刀比羅神社、九頭竜神社という3つの神社があり、その3社の例大祭が関戸の秋祭りす。例年9月の第2日曜日に行うことになっていて、今年は9月7日が宵宮、8日が本祭りでした。

このうち金刀比羅神社はスタジオジブリの「耳をすませば」の舞台になった場所に建っています。男の子が主人公の女の子に交際して欲しいと告白する場所です。ずいぶん前から、若い人の間で、耳すまツアーがブームになっていて、土日にはかなりのカップルがこの場所を訪れます。そのせいか、お賽銭の上がる額は本家の熊野神社を抜いてトップだそうです。

祭りは氏子だけで担うのではなく、町内ごとに有志で組織組織する会があって、そこが巡行の接待をしたり縄張りなどを受け持ち、祭りを裏で支えています。私のところは「関戸中央会」、約30軒が費用を出し合い、祭りの巡行を接待しています。

関戸中央会では祭りの約1週間前に、縄に下げる幣束をづくりを行い、今年の接待をどうするか同談します。写真はその時の光景です。もちろん飲みながらですが・・・。

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去年から私は神社の留守番役を仰せつかっています。太鼓、神輿、山車などの巡行には同行せず、花掛け(寄付金)の受付と皆が帰って来た時のための準備をする役です。写真はみんなが出払った後の神社の光景です。

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宵宮には、本祭りには巡行しないような町内を太鼓を中心に歩きます。写真は、それが終わり翌日の本祭りに備えて景気づけをしているところです。

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神輿に御魂を入れる儀式、いざ出陣です。

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今年は途中から雨模様でしたが、午後7時に、神輿が無事熊野神社に納まりました。この時、神輿のもみ合いは最高潮に達し、時々担ぎ手同士で小突き合のトラブルもあります。実は今年もありました。

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第5回竹あかりコンサート

今年は、7月27日(土)に竹あかりコンサートを行います。
今回で5回目、これまではクーペ&Shifoのユニットに出演をお願いしていましたが、今回は昨年6月に稲城の京王よみうりランド駅前にgreen world cafeというライブハウスができ、そこのオーナー花枝聖さんとその仲間たちに出演してもらうことになりました。

店がオープウンする前に、めぐみの里山でプレイベントを行ったほか、その後も何度か里山で「森のライブ」を開催しています。最近では農作業の手伝いに仲間と連れ立って来てくれ、一緒に汗を流したりもしています。

「稲城を音楽のまちにしたい!」そう豪語する花枝聖さんとその仲間たち、私も長年稲城のまちづくりに携わってきた一員として彼らを応援したと思っていますが、それ以上に彼ら若者たちのエネルギーに期待するものがあります。
また、めぐみの里山もこんなふうにいろいろな団体と繋がることで、まちづくりの拠点になったらいいなとも思っています。秋には稲城の若者たちでつくている「稲城でいい映画を観よう! 梨映会」が、ここを使って、野外映画会を行いたいという話もきています。「里山っ子たち その2」という映画です。

    ★   ★   ★

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いなぎめぐみの里山 「第5回 竹あかりコンサート」

<日時>
2013年7月27日(土)
開場…17:00 
開演&竹あかり点灯…19:00

<チケット料金>
■大人…800円
■中高生…400円
■小学生以下…無料

<チケット販売店・お問い合わせ先>
※チケットは6/12より、下記販売店にて販売開始致します。
green world cafe
http://green-world-cafe.com/
〒206-0812 東京都稲城市矢野口2208 ステーションサイドビル栗山2F

<出演>
花枝聖・きしのりこ・太一・有坂ともよ・高橋宣夫・紙子・宙 with 稲城の森BAND

<主催>
NPO法人「いなぎ里山グリーンワーク」
http://www.h6.dion.ne.jp/~etokazuk/
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今朝のnhkアーカイブスにダラー・ブランドが・・・

今朝、食事をしながらテレビをつけたら、黒人が砂漠でジャズピアノを演奏しているシーンが・・・何これ!と思って新聞を見ると、nhkアーカイブ「南アフリカの絶景を弾く」という番組でした。2010年に放映されたものです。
演奏していたのはアブドゥーラ・イブラヒム・・・放映された当時75歳だといいますから誰だか見当がつかなかったのですが、途中でアブドゥーラは、ダラー・ブランドの本名だと知りました。若い頃に良く聴いていたジャズピアニストです。

南ア出身で、セロニアス・モンクやジューク.エリントンなどの影響を受け、「アフリカン・ピアノ」というアルバムが当時評判になり、私もそのCDを持っています。

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ダラー・ブランドという名前は、若い頃に、ケープタウンに寄港する米兵から新しい音楽の聞けるレコードを買うために、ドル札を持って回っていたことからついたあだ名なのだそうです。

彼が作った「マネンバーグ」(黒人を強制移動させた場所の名前)という曲は、南アフリカの第2の国歌と言われ、反アパルトヘイト運動のテーマ曲にもなったということでした。

彼は75歳になってやっと物事が理解できる年齢になった。今が出発点でやりたいことが山ほどある・・・ということで、ケープタウン北部のカラハリ砂漠入り口に800haの土地を購入、今後の活動の拠点にするというのですから、そのエネルギーは凄い・・・。

そんなわけで、今朝は思いがけず彼のピアノをたっぷり聴くことができました。
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和田誠の「真夜中まで」

テレビで和田誠監督の「真夜中まで」(2001年公開)を見ちゃいました。

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憧れの超大物ジャズメン、G.P.サリヴァンが午前0時のステージを聴きに来ると知り、ビルの屋上で練習に励んでいた守山(真田広之)。その頃、隣の立体駐車場で刺殺事件が起こり、偶然その現場を目撃してしまったクラブホステスのリンダ(ミッシェル・リー)はビルに逃げ込むが2人の男に追い詰められる。守山は大事なステージを前にリンダと一緒に逃げるハメに・・・。

とまあ、こんなストーリーなのですが、何しろオシャレ。BGM的にジャズがふんだんに流れているのも嬉しい。久々に大人のエンターテイメントという感じ。

和田誠と言えばヒッチコックの映画に関する本も出しているが、あのオシャレな感じは多分にヒッチコック的。

2人の脇を固めるのが、岸部一徳、國村隼、春田純一、柄本明、高野拳磁、笹野高史。
ところが、ほとんどセリフなしのカメオ出演陣がまた凄い。
もたいまさこ、大竹しのぶ、斎藤晴彦、高橋克実、大森博史、佐藤仁美、唐沢寿明、戸田菜穂、柴田理恵、三谷幸喜、名古屋章、小松政夫、六平直政・・・。

大竹しのぶはジャズクラブのお客さん、相手のセリフまですぐに覚えてしまうという彼女なのにセリフなし、そのすぐ後ろに座っていた高橋克実などは単なるエキストラ。夜中の繁華街で何でも売っているという怪しげな店の店主はもたいまさこ、いい味出していました。逃亡する2人が逃げ込んだトラックの運転手、六平直政がまたいい。
ジャズの演奏は、五十嵐一生(tp)ほか・・・

さすが和田誠、交友関係の広さに感心。

和田誠といえば、「ハイライト」のパッケージデザインや「ゴールデン洋画劇場」のオープニングタイトル、「週刊文春」の表紙のほか、ブックデザインの仕事も数多い。で、私の頭に真っ先に浮かんだのが植草甚一、彼の本は若い頃に片っ端から読みましたが、その晶文社の表紙絵が和田誠でした。

「ジャズの前衛と黒人たち」「ぼくは散歩と雑学がすき」「ワンダー植草・甚一ランド」「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」「映画だけしか頭になかった」・・・。

そんな時代を感じさせる映画でした。
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池澤夏樹さんの「ホモ・エックス」

前回のブログの続きです。
その前に、「幸せのカギ・・・」をアップした翌日(15日)の新聞に、一旦急上昇した日本株が、すぐに暴落したのは、1週間も前から周到に準備していた海外ヘッジファンドのせいだたった、という記事が載っていました。

株価だけが「景気」ではないのに、そのことが強調され過ぎてはいないかと、報道のあり方に懐疑的でしたから、その記事を読んで、それみたことかという感じでした。と同時に、そうした利益だけを目的にした投機マネーが、世界経済を支配しているように思えて末恐ろしくもなりました。

実は、「幸せのカギ 低成長にあり」の記事と同じ紙面に、池澤夏樹さんが「ホモ・エックスとの共生」という文章を載せていました。その2つの記事を見比べながら同時並行的に読んだのですが、2人の価値観、考え方が、根っこのところで繋がっているように思え、とても興味深く読むことができました。

池澤さんの文章は、「今、この地球上にはホモ・サピエンスとは別の知的生命体が棲息している。仮にこれをホモ・エックスと名付けてみよう」で始まり、その上で「ホモ・エックスは生命の定義を満たしている。外部から隔てられた内部空間を持ち、代謝を行い、時には分裂したり統合されたりし、個体として生まれて個体として死ぬことできる」と説明しています。

さらに、ホモ・サピエンスとホモ・エックスの共通点、差異、対立点などを説明した上で、「いちばん大きな問題は、彼らと我々では倫理が異なるということだ」と述べています。

さて、ホモ・エックスとは何のことだか見当がつきましたか?私は皆目見当がつきませんでした。
実は法人、もっと簡単に言えば営利を目的にした株式会社の類いのこと、を言っているのです。

その種明かしを読んでから、もう一度読み返してみると、なるほど・・・すべて納得できました。

最近企業が不祥事を起こすことが増えていますが、その度に会社の重役が揃って頭を下げ、再発防止に努めますと謝罪しています。何度「再発防止」を聞いたことでしょう。そして、その都度、企業の「品格」が問われもしています。

企業ですから利益を追求するのは当然のことです。しかし、ついこの間までは、闇雲に追求するということはなかったようは気がします。地域社会や消費者の生活をより豊かにするためにといった、企業なりの「品格」があったように思うのです。そして、社員はみんな家族、その社員の生活を守ることも企業の倫理だったはずです。

それが、いつの間にかこんな時代になってしまったのでしょうか。ヘッジファンドなんて、倫理とは無関係の最たるもののような気がします。なのに、違法行為でない。
オイルマネーのような行き場のない金が、世界中を席巻し、実態経済とは関係なく、世界中を支配するようになってしまったのが今の時代、そろそろ戻ることを考えないと手遅れになり兼ねません。
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「幸せのカギ 脱成長にあり」を読んで

10日ぐらい前になりますが、朝日新聞の文芸/批評欄に、「幸せのカギ
 脱成長にあり」という記事が載っていました。フランスの経済哲学者のセルジュ・ラトゥーシュへのインタビュー記事です。

〈脱成長〉を唱える彼の念頭には、長年にわたって現地調査をしてきた、アフリカやアジアの村落共同体の生活があるといいます。
例えば、貧困や飢餓の多くは、異常気象を原因とする食料不足が原因ではなく、商品作物の清算など、偏った開発によって、生活基盤が破壊され、共同体内部の分かち合いの精神が失われるなど、「経済成長を目的とした開発自体が原因」だと結論づけています。

こうした「成長」の問題点は先進国にもあてはまり、「私たちの想像力は今や完全に経済成長によって植民地化されてしまい、社会の問題は成長によって解決されると信じ込んでいる。長期的に考えれば資源は枯渇し、環境は破壊されることは自明にもかかわらずだ」と言うのです。

この考え方とても分かります。分かち合いの精神、ストックではなくフローの考え方。

いま我が国では、アベノミクスによる経済成長が最大の関心事になっていますが、私自身はその政策にとても危ういものを感じています。
経済が永遠に成長することなどあり得ないわけで、ついこの間までは、そろそろ低成長時代に相応しい国の枠組みを作るべきだという議論がなされていたのではないでしょうか。にもかかわらず、またぞろ、市場にお金をばらまくというバブル期のような話が出てくるのはどうしてだろう。そういった違和感があるからです。たとえ一時的に景気が良くなったとしても、それが本当の豊かさなのだろうかという疑問もあります。

ではどうすればいいのか?
セルジュ・ラトゥーシュへ氏は「社会の基本的な単位を小さくした『ローカル化』戦略だ」と説きます。実際、欧州危機後ギリシャやスペイン、イタリアなどでは、スローライフのコミュニティづくりの動きに拍車がかかっているのだそうです。そういえば、韓国のソンミサンマウルの取り組みも『ローカル化』戦略と言えるかも知れません。

もともと、ギリシャやスペイン、イタリアといった国の大部分の人たちは、スローライフで十分だと思っていたのではないでしょうか。ところがそこに突然、欧州連合というグローバリズムの経済原理が入ってきた。効率優先、成長こそが善の考え方が導入されてしまった。

昔のことですが、スペインは経済的にはローロッパでも貧しい方の国、でも一番暮らしやすい国だと聞いたことがあります。また、イタリア人は年200万円あれば楽しく暮らせるのに、どうしてそれ以上稼ぐ必要があるのかと考える国民だと聞いたこともあります。なのに、全部ドイツ人のように勤勉になれという方が問題だと思うのです。
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熊野本宮大社参拝に行ってきました

地元の氏神様は熊野神社で、9月の例大祭は、大太鼓、神輿、山車などが巡行する盛大なものです。その他、年末年始の初詣や節分の行事なども行っていますが、それを仕切るのが神社委員、その神社委員の有志20人が、28日から30日にかけて、熊野本宮大社正式参拝に行ってきました。長年の夢だったのでようやく念願がかなったというわけです。

バスで、横浜から東名自動車道に入り、途中から伊勢自動車道、さらに紀勢自動車道を通って、熊野へいう長旅、午前6時半に出発し、初日の参拝場所である熊野速玉大社に着いた時には午後5時を回っていました。
そんなわけですから、出発するやいなや、日本酒、焼酎、ビール、酎ハイなどが配られ、車内では一日中宴会が繰り広げられていました。

初日に参拝した熊野速玉大社

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初日の宿は、熊野本宮大社から30分ぐらいのところにある湯の峰温泉「湯の峯荘」でした。「熊野古道の中心にあり、関西トップランクの泉質を誇る掛け流しの温泉宿」とPRしているだけのことはあって、なかなかの温泉宿、料理がまた良くて大満足でした。

「湯の峯荘」での宴会風景

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2日目はまず、熊野本宮大社で正式参拝、次に熊野那智大社で参拝してそこで昼食でした。この日はあいにく朝から雨、それに加えて、熊野本宮大社の本殿は屋根(桧皮葺)の葺きかえ工事中で、被いが掛かっていて屋根の先端しか見ることができませんでした。那智大社も雨と霧に煙っていて、そこからの滝は見ることができず、かすかに滝の音が聞こるだけでした。
でも、霧に煙った幻想的な神社の光景が、後で振り返ってみると一番印象に残りました。

正式参拝を終えて記念撮影

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八咫烏の半纏を着て、宮司さんの説明に耳を傾ける

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本殿は屋根だけが・・・

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那智大社への途中、熊野古道も見学

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下の写真は那智大社の巫女さんをiphoneで撮ったものです。そんなわけで技術的にはメタメタですが、シャッターチャンスはドンピシャでした。自分でもいい写真が撮れたことにビックリ!

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神社からは見えなかった那智の滝は、帰りに立ち寄って下から見学しました。大学時代に一度来たことがあり、約50年振りの再会です。

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この日の宿は、榊原温泉「白雲荘」でした。榊原温泉は古くは万葉の時代、お伊勢さんの”湯ごりの湯”として利用されてきたのだそうです。また、
清少納言が「枕草子」で「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と謳っているますが、この「ななくりの湯」が榊原温泉のことなのだそうです。キャッチフレーズに「恋の湯治湯」とありますが、そのためかな?

最終日は熱田神宮を参拝した後、名古屋市内の「まんだら」という老舗で美味しいきしめんを食べてから帰路につきました。

熱田神宮では、樹齢1000年という大楠のしめ縄を張り替えている珍しい光景に遭遇、しめ縄を担いでいる女性の方に聞いてみたところ5月と11月の年2回、地元の講中で張り替えているのだそうです。

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熱田神宮は想像していたよりも質素な神社でした・・・とfacebookに書いたら「素朴ですかねえ?」って突っ込みを入れられたので、帰ってから調べてみました。建築様式は、伊勢神宮と同じ「神明造」で、明治26年までは「尾張造」と呼ばれる独特の建築様式だそうです。勉強になりました。

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3 日間で往復13000キロを超える長丁場のバスの旅、さすがに疲れました。もちろん飲み疲れもありますが・・・。
その間ずっと雨だったのに、このまっ晴れは何なの!って今日は突っ込みを入れたい気持ちですが、まあ、人生とは得てしてそういうもんですよね。(参拝の甲斐があって悟りの境地になってます)
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